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自分を棚上げしている自覚

mitsuco

たとえばテレビで野球観戦をしていて、絶対に取れそうなフライを落としてしまったというプレーを見たとします。

テレビの前で「何やってんだ!」とか「あーあ、やっちまったなー」なんて言ったりします。家の中で、そこにいる人たちとの間だけで共有する会話です。

私は実際に野球のプレーをしたことがほとんどないので、球速が落ちたフライすら取れないでしょう。落としてしまう可能性の方が高いです。

そんな私がテレビでの前ではプロの選手のミスを「何やってんだ」なんて言いながら見ています。

これは良くないことなのでしょうか。

これはあくまでも家の中の、テレビの前で、そこにいる人たちとだけで楽しんでいる時の発言であって、

「いや、自分は野球のプレーはできないのに、プロの選手をヘタだなんて言うのはおこがましい」なんて考えていては楽しむこともできません。

では、この「ヘタだなぁ」という感想をネットで発言するとどうでしょうか。

前後になんのフォローもなく、ただ「ヘタだなぁ」と書いて、もしそれを本人が目にしたらどう感じるでしょう。

「私はこの選手を応援していていつもすごいプレーを見せてくれているけど、昨日はこんなエラーがあったので残念。でも応援してるよ!」とか、

「プロ野球選手でもたまにはエラーをすることがあるんですね。次は頑張って!」

というふうに書けば、ドンマイ!応援してるよ!という気持ちが伝わるかもしれませんね。

私はつい最近まで、ビジネスや地域にまつわるお話が聞ける音声チャンネルの1リスナーとしてコメントを書いていました。

「聞いてコメントを書く」を毎日続けることで、自分の意見が明確になり、意見を求められたときにすぐに返すことができるようになる、というのがコメントをする目的でした。

毎日コメントを書くことが日課になりました。

そのうちに、ただコメントを返すだけではなく、文字制限いっぱいまで埋めようとか、自分らしい書き方ができるのでは?と考えたりするようになりました。

情報を知らない人や行動に踏み切れない人を「良くない」とジャッジするような内容のときは、「私はその情報を知っていますが知らない人がいるとは。それは良くないですね」というように迎合するようなコメントを書いたこともあります。

本来なら「私はその情報を知っています」だけでいいのです。

知らなかった人は番組を聞いて知識を得ることができたのだから。

でも、字数を埋めるために余計なことを書いていました。

いつの間にか「自分の意見を明確にして、求められたときにすぐに言えるようになる」という当初の目的が「250文字という字数制限の中で自分らしく表現したい」に変わっていたんですね。

番組がどんどん本格的なビジネスチャンネルになるにつれて、私の棚上げ発言も増えていきました。いったい何様なの?とほんのり思いながら。

「知らないことばかりで、ついていくのが大変です」「とても勉強になっています」

今考えれば、そんなコメントでよかったんじゃないかな。

棚上げ問題はあまり深掘りしすぎてしまうと何も発言できなくなるばかりか、人の発言をジャッジしてしまうようになってしまうので、ほどほどにしないといけません。

ですのでこのあたりでやめておきたいと思います。

私はこれからもネット上で発言していくでしょう。自分の意見を書く時にはどうしても強気にならざるを得ないこともあるので、また今回のように反省することも出てくるのかなと思います。

たぶんまた同じようなことを繰り返してしまうのでしょうが、「棚上げしている自分を自覚する」ということを頭の片隅にいつでも置いておきたいと思います。

みつ子
みつ子
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